子どもいこい食堂を開店! 2019.03.27. 

2020.03.28.(土)子ども食堂開店します。


 子供(小中学生)、付添人、シニア 参加自由です、一人で食事を食べるより、沢山の人で楽しく食べませんか!!。20名限定、食事内容は ラーメン餃子定食です。

かもちゃん情報 2020.03.10. 

2002全スポ高知県にて

 

  私は63歳で2歳くらいの時に小児麻痺を発症し左下肢に残っています、又24年前に胃がんで胃と 脾臓を全摘しています。この頃、体調が絶不調!!、この先しばらくその状態が続きました。 小児麻痺の後遺症と思われます、たまたまめまいの薬の中にあった、アデホスコーワ錠という 薬を、呑み続けることで症状が和らげることが出来ました。手足のしびれ、力が入らない等で す。また好きな卓球が続けられるようになりました。この薬は神経細胞、内臓等にエネルギー を供給するようです、ポストポリオ等で困っている方個人差があると思いますが主治医に相談 してみてはどうでしょう!!
kamoyos@msn.com

がんになって 2019.10.02. 

がん発病時期1994年9月ごろ
【1】
 9月ごろの社内健康診断では胃が荒れています、他はメタボ以外は特に異常なし。この当時、 かなり体重があり、日頃右側腹部裏側がときどき痛み、何かなて感じで特に気にしてい その後、就業中に胃が痛くなり、会社診療所にてみてもらいましたが、医師より、一度大きな 病院で胃カメラを進められる。今思えば胃がんの初期症状だったのかな?。
【2】
 浜松三方原聖霊を受診。結果、ステージWとのこと、ビックリ!! それからは怒涛のように 時間が過ぎていきました。当時年齢38歳くらいです、検査入院の日取り決め、会社に報告 等、検査入院が1か月、この時間がとても長く感じました、夜はなかなか寝れず。夜景を見 ながら自分が死んでゆくのか、家族がどうなるのか自分を見直す時間だったと思います。
【3】
 手術前、一時退院し家族と過ごし、これが最後かななどと考えていました、結局これか25 年も生きています、この後、胃がんで、知人がなくなり、妻のおじさん、妻のお父さんなど4 ぐらいの方が亡くなっています。自分の生命力の強さを感じました。
【4】
 手術日は12月21日今でも忘れられません、手術時間は15時間朝入り出てきたのは夜で 妻の話だと胃と脾臓の全摘でした、のちの病理検査で胃の内壁全体にがん細胞が広がっ ていて全摘でよかったと安堵し、胃の表面は健康そうで綺麗なピンク色だったとのことでした。 下手に少しでも残せば、後々大変なことになっていました。
【5】
 手術後、その日に医者から歩きなさい!!、『えー』 点滴スタンドを持ちお中にはチューブが 10本位出ていてサイボーグではないかと思う姿をしていました、歩きながらおなかを見ると ガーゼから血が滴っていました、毎日この格好で廊下を徘徊しました。入院中、一度死にか 肺に刺さり意識が無くなりました、肺への内視鏡による処置で事なきをえ、これで4回も死にそ うなにか自分が生かされているって思っています、何かまだ役割があるのかな? これが原因で入院生活が4か月にも及び、途中、健康な人ならかからない腸炎になったり、食 の好みが変わりあっさりした魚、肉も脂身の少ないものしか身体が受け付けなくなりました。
【6】
 退院は待ちの患者さんが多く、突然来ました、まだ体から管が4本ぐらい出ていての退院、無茶苦茶です。ベットが足りないので 退院してほしいとのことでした、不安がでしたが仕方なく了承、一番大変だったのがお風呂、おなかのチューブを大きな ガムテープで包みしばらく続きました
【7】
 退院後一番したいことが、ラーメンとカレーライスを食べることでした、食したときどちらも結果 食後戻して苦しい結果でした、1日の食事も小分けして8回くらい、また定期的に低血糖で動け なくなり、冷汗たらたら、1時間ぐらい動けず。この時には缶コーヒー、氷砂糖かみ砕く。
【8】
 職場復帰してからは大変、変な時間にお腹が空き、お昼ご飯は弁当持参、食後は机でお眠、とに かく、食後は腹部に血液が集中して30分くらいは動けず、それ以降はよほどのことがない限り残業 は出来ない、お酒も体が受け付けず、飲み会はひたすらジュース一筋、食べ物もほとんど手に付 けず。油こい物が多くて、食べた後ひどい目に遭います。、食事は無理して3回にしないで聞い て解る。これが低血糖を引き起こします、一日5回から8回に分けて取るべし。 余談ですがこの時給与明細を見たときにびっくりぽん、マイナスの金額表示でした、入金はしませんでしたが 驚きでした、この時会社はだれも助けてはくれないことを知りました、後日がん保険、生命保険に入っていて 随分と助けられました、皆さんも是非加入してください!!
【9】
日々生きていく修行です、それでも生きている喜びを感じました、第2の人生です、さんまさんの、 生きているだけで丸儲けを実感します。
【10】
 こんな生活をし、毎月定期的に病院に通院し、5年後もう大丈夫です、もう通院しなくてもOKです。 もう来なくてもいいと捨てられました、この後、腹部の縫合した糸溶けないが原因で糸の周りが膿ん で、近くの外科医院に行き麻酔無しでピンセットを差し込まれ、抜かれました、これが数回,痛いの なんのって、死にそうです!!、また日増しに体の力が入らなくなりおかしいと近くの内科に相談 、すると、胃の全摘した人は体で鉄分を吸収出来なくなることを教えられ、何かビタミン16とやらが 胃がないため吸収できないとのこと、筋肉注射で打たないと鉄分が足りなくなり貧血等になるとの そんなこと手術を受けた主治医が何にも教えてくれなかった、なんてこった、ひどいね!! メチカバルという薬です、実際には貧血、手足の痺れ等の症状が出る、この薬のおかげで改善。 他には就寝中に消化液の逆流による逆流性食道炎になり、夜中飛び起きることが頻発、辛い このころは内科から消化器内科に代わっていてその先生に相談してお薬(薬名:カモスタットメシル酸塩錠)をもらい改善。
【11】
 職場復帰して、5年ぐらいすると仕事に追われ、ストレスを抱え、胃もないのに胃痛、人減らしで 電子楽器のサービスマニュアルを制作している部署で入院するときには5人で担当、次第に減らされ 最終的に上司がお前ひとりでやれないかととんでもない要求、自分自身会社の為になんて全然思わず またストレスで病気になるような怖さを感じ、丁度、40歳から早期退職者募集が始まり、早期退職しました それから、障がい者の全国大会があり、静岡代表で卓球大会に選ばれ高知大会に出場、1年遊んで ソニー湖西工場の電子機器の修理で派遣社員として働きました。しかし自分でも興味のある餃子の店を 持ちたいと早期退職制度のお金で家を改装し店を開店して、16年です、何度も閉店の危機はありましたが 周りのサポートがあり現在に至りました。
【12】
 いろいろな苦労がありますが何とか25年生きてこれました、すべて妻と周りにいる人に助られ 残りの人生を楽しんでいます、胃がん、その他病等苦しんでいる方、世の中捨てたもんでもないです。 気長に生きて、くよくよせず楽しみましょう、いつか死を迎えるまで!!
【13】
 最近、夜4時前後に必ずトイレに行きたくなります、一度起きると朝の目覚めが非常に悪く 困っていました、TVなどでノコギリヤシがいいとか本当かな?、100均で見つけて安いので 購入して10日目くらいから朝5時くらいまで持つようになり、1か月くらいすると朝起きるまで 若いころのように我慢できるようになりました、嘘みたいです、困っている方お試しあれ!!
【14】
 5,6年くらい前から右腕、首肩に痛みがあり朝起きると首と肩が固まったようになり激しい痛みが来るようになりました 初めに整体に通いましたがもんだ時には気持ちがいいのですが直ぐに痛みが出ていました、それで整形外科 を受診し下されたのは脊椎狭窄症とのこと、治療は肩へのブロック注射と2種類の痛み止め、当初は1日3回服用 薬を飲むと30分くらいすると睡魔に襲われ気が付くを爆睡していました、車にも乗るのに躊躇するくらいでした しかし痛みは軽くなり、3年ぐらい通いました、妻にこの薬あまり体に良くないのではといわれ続けていました 、友達が車の事故で身体が思うように動かなくなりある接骨院で施術を受けてかなり良くなったと2人くらいきき その接骨院、天竜二俣の小林接骨院に通いだしました、初日から驚きました、痛みが軽くなり、身体が10年位前に 戻ってくれたように軽くなりビックリ、1週間後もっと驚くことが起こりました、高血圧で146の90くらいあった のが120の70へ変化しました、またひどい便秘解消、またかなり続いていた右くるぶしの鈍痛も軽減しいいことばかり 整形外科への通院も8月からやめていますが首肩背中の痛みがほぼ解消されています、現在週2通院しています、 こんなことならもっと早く知っていればと思っています。


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